------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ 例 黒須《くろす》 太一《たいち》 【読み進めるにあたって】 ストーリーは 1,「CROSS†CHANNEL」からはじまります。 順番はこの下にある【File】を参照のこと。 このファイルは たった一つのもの  2,「たった一つのもの(2週目)」 です。 ------------------------------------------------------- FlyingShine CROSS†CHANNEL 【Story】 夏。 学院の長い夏休み。 崩壊しかかった放送部の面々は、 個々のレベルにおいても崩れかかっていた。 初夏の合宿から戻ってきて以来、 部員たちの結束はバラバラで。 今や、まともに部活に参加しているのはただ一人という有様。 主人公は、放送部の一員。 夏休みで閑散とした学校、 ぽつぽつと姿を見せる仲間たちと、主人公は触れあっていく。 屋上に行けば、部長の宮澄見里が、 大きな放送アンテナを組み立てている。 一人で。 それは夏休みの放送部としての『部活』であったし、 完成させてラジオ放送することが課題にもなっていた。 以前は皆で携わっていた。一同が結束していた去年の夏。 今や、参加しているのは一名。 そんな二人を冷たく見つめるかつての仲間たち。 ともなって巻き起こる様々な対立。 そして和解。 バラバラだった部員たちの心は、少しずつ寄り添っていく。 そして夏休み最後の日、送信装置は完成する——— 装置はメッセージを乗せて、世界へと——— 【Character】 黒須《くろす》 太一《たいち》 主人公。放送部部員。 言葉遊び大好きなお調子者。のんき。意外とナイーブ。人並みにエロ大王でセクハラ大王。もの凄い美形だが、自分では不細工の極地だと思いこんでいる。容姿についてコンプレックスを持っていて、本気で落ち込んだりする。 支倉《はせくら》 曜子《ようこ》 太一の姉的存在(自称)で婚約者(自称)で一心同体(自称)。 超人的な万能人間。成績・運動能力・その他各種技能に精通している。性格は冷たく苛烈でわりとお茶目。ただしそれは行動のみで、言動や態度は気弱な少女そのもの。 滅多に人前に姿を見せない。太一のピンチになるとどこからともなく姿を見せる。 宮澄《みやすみ》 見里《みさと》 放送部部長。みみみ先輩と呼ばれると嫌がる人。けどみみ先輩はOK(意味不明)。 穏和。年下でも、のんびりとした敬語で話す。 しっかりしているようで、抜けている。柔和で、柔弱。 佐倉《さくら》 霧《きり》 放送部部員。 中性的な少女。 大人しく無口。引っ込み思案で、人見知りをする。 でも口を開けばはきはき喋るし、敵には苛烈な言葉を吐く。 凛々しく見えるが、じつは相方の山辺美希より傷つきやすい。 イノセンス万歳。 桐原《きりはら》 冬子《とうこ》 太一のクラスメイト。放送部幽霊部員。 甘やかされて育ったお嬢様。 自覚的に高飛車。品格重視で冷笑的。それを実戦する程度には、頭はまわる。 ただ太一と出会ってからは、ペースを乱されまくり。 山辺《やまのべ》 美希《みき》 放送部部員。 佐倉霧の相方。二人あわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と呼ばれる。 無邪気で明るい。笑顔。優等生。何にもまさってのーてんき。 太一とは良い友人同士という感じ。 堂島《どうじま》 遊紗《ゆさ》 太一の近所に住んでいた少女。 群青学院に通う。 太一に仄かな恋心を抱くが内気なので告白は諦めていたところに、先方から熱っぽいアプローチが続いてもしかしたらいけるかもという期待に浮かれて心穏やかでない日々を過ごす少女。 利発で成績は良いが、運動が苦手。 母親が、群青学院の学食に勤務している。肝っ玉母さん(100キログラム)。 桜庭《さくらば》 浩《ひろし》 太一のクラスメイト。放送部部員。 金髪の跳ね髪で、いかにも遊び人風。だが性格は温厚。 金持ちのお坊ちゃんで、甘やかされて育った。そのため常識に欠けていて破天荒な行動を取ることが多い。が、悪意はない。 闘争心と協調性が著しく欠如しており、散逸的な行動……特に突発的な放浪癖などが見られる。 島《しま》 友貴《ともき》 太一の同学年。 元バスケ部。放送部部員。 実直な少年で、性格も穏やか。 激可愛い彼女がいる。太一たち三人で、卒業風俗に行く約束をしているので、まだ童貞。友情大切。 無自覚に辛辣。 【File】 CROSS†CHANNEL  1,「CROSS†CHANNEL」  2,「崩壊」 CROSS POINT  1,「CROSS POINT(1周目)」  2,「CROSS POINT(2周目)」  3,「CROSS POINT(3周目)」 たった一つのもの  1,「たった一つのもの(1周目)」  2,「たった一つのもの(2週目)」  3,「たった一つのもの(大切な人)」  4,「たった一つのもの(いつか、わたし)」  5,「たった一つのもの(親友)」  6,「たった一つのもの(謝りに)」  7,「たった一つのもの(Disintegration)」  8,「たった一つのもの(弱虫)」 黒須ちゃん†寝る  1,「黒須ちゃん†寝る」 ------------------------------------------------------- CROSS†CHANNEL たった一つのもの  2,「たった一つのもの(2週目)」 青天の霹靂だった。 桜庭と再会したのは、一年生の頃だ。 桜庭『オレのこと、覚えてるか?』 太一『……あ?』 桜庭『学院祭の演劇で』 太一『……おまえ』 桜庭『オレは桜庭浩。苗字で呼ばれるのは好きじゃない。ヒロって呼んでくれ』 その顔には確かに見覚えがあった。嫌な記憶が添付されてはいたが。 ……………………。 太一『触るな』 桜庭『……気にしてるのか』 太一『してないはずないだろ』 桜庭『すまない』 太一『謝罪はいい。近寄るな』 桜庭『許せ』 太一『許すか。二度と話しかけるな』 桜庭『ところで昨日ネットでな———』 太一『…………』 めげない。懲りない。くじけない。桜庭とはそんなヤツらしい。 ……………………。 桜庭『よう』 太一『話しかけるなっての』 桜庭『課題やってきたか?』 太一『聞こえないのか、おまえの耳は』 桜庭『ああ、聞こえない。片方だけな』 太一『……あ?』 桜庭『おまえにいいのをもらったときにな』 確かに殴った。が、自分の貞操を守っただけだ。 太一『……だからどうした。正当防衛だ』 桜庭『当然だ。おまえは悪くない』 太一『……』 桜庭『オレが未熟だったんだ。思えば……感動だったんだな。舞台のおまえは、きれいだったからな』 太一『あーそうかい。あんがとな。嬉しくないけどな』 桜庭『安心しろ。オレの中に、もう不純なものはない』 太一『……どうだか』 桜庭『ないんだ。もう。いろいろとショックだったんだな。オレの中から、制御できない生々しいものが消えたような感じなんだ』 太一『そりゃおまえがインポ野郎ってことだ』 桜庭『ああ、そうだな』 笑いやがった。 ……………………。 桜庭『よう、太一』 太一『……おまえか……ここしばらく、いなくなってくれてせいせいしてたんだが』 桜庭『化石を掘りに行ってきた』 太一『はあ?』 意味不明だった。 桜庭『アンモナイトかと思ったら、カブトの幼虫だった』 太一『……アホか、おまえ』 ……………………。 昼飯にあぶれた日があった。 食券もパンも売り切れていた。 桜庭『よう、一人か?』 太一『……』 どさどさどさっ 太一『何をする!』 山のような、購買のパン。 桜庭『全種類買ってきた。一番うまいのを探す』 太一『……勝手にやってくれ』 桜庭『おまえも食えよ』 太一『いらん』 桜庭『一人だと食いきれないからな。おい、このカレーパン、信じられないうまさだぞ?』 太一『…………』 食ってみた。 太一『お、おえええええっ』 最悪。 太一『なめてんのか!』 桜庭『こっちのカツサンドは駄目だな。やる』 食ってみた。 太一『……うまいぞ?』 桜庭『そうか? 舌がおかしいんじゃないか?』 おまえだよ。 ……………………。 群青のカリキュラムは、拘束時間が長い。授業が終わっても三十分は正門も開かない。門の前で待機する三十分は、いつも退屈な時間だった。 桜庭『帰りか?』 太一『……ああ』 隣に並ぶ。 桜庭『鳥はいい。次に生まれ変わる時は、鳥になる』 唐突に言った。 太一『頭はすでにどっか飛んでるみたいだけどな』 桜庭『ははは』 太一『……皮肉もわからんのか』 ……………………。 放送部員になった。最初に部室に顔を出した日。 太一『で、おまえがいるんだな……』 桜庭『つるめるな』 太一『つるみたかねーよ』 ちなみに友貴は少し遅れてやってきた。みみ先輩は、スカウトさんだったらしい。 友貴『島友貴っつーんだけど……よろしく』 桜庭『オレは桜庭浩。苗字で呼ばれるのは好きじゃない。ヒロって呼んでくれ』 友貴『……いや……そのうちね……』 見事に及び腰にさせた。 ……………………。 三人は部室で、規定時間を過ごす。決まりだ。 友貴『だから、そうじゃないって……どうしてわざと間違えるんだ』 桜庭『この方が面白そうだから』 友貴『将棋は勝負だよ』 桜庭『オレはやって面白いことをする。おい、太一もどうだ? やろうぜ』 太一『……は』 肩をすくめてやった。 友貴『……感じ悪いな、黒須って』 桜庭『そうか? オレは好きだ』 俺には、小声の会話だって聞こえる。やめてくれ。叫びたかった。 ……………………。 友貴『おまえの仕事だったんだ!』 太一『……やる義理はないと思うけどな』 友貴『あるさ、部員なんだから』 太一『離せよ、シスコン君』 侮蔑を込めて言うと、島友貴は顔を瞬時に紅潮させた。 友貴『……おまえっ!』 とっくみあいになった。馬乗りになる。素人が!殴りつける。手加減はする。怪我はしない程度に、苦痛のある方法で殴った。殴りながら、俺は退屈だった。くだらない三文芝居に、うんざりしていた。ふと、視線に気がつく。 太一『なに見てる』 桜庭『ただ見ている』 太一『面白いか?』 桜庭『青春っぽい』 太一『…………』 桜庭『どうした、気の済むまでやったらいい。もっと青春度がアップするぞ』 太一『……』 友貴『……』 立ち上がる。 太一『……やめだ。馬鹿馬鹿しい』 友貴『おい、仕事は!』 うざい。 太一『へいへい……やるよ』 友貴『……そうだよ。最初からそうしてくれれば』 太一『わかんねーんだよ。こんなの。知らねーんだから』 友貴『じゃあ、訊けばいいだろ』 当然であるかのようにヤツは言う。切れた唇。痛みに顔をしかめて、でも友貴は恨み言は言わなかった。 桜庭『おい』 太一『なんだ』 桜庭『……青春はもう終わりか?』 太一『……働け』 ……………………。 もう手伝ったら、同じだからな……。 桜庭『おーす』 太一『よーす』 桜庭『……ショックだ』 太一『どうした、またスクープでもされたか』 桜庭『猫が死んでた』 太一『あ?』 桜庭『車に轢かれて猫が死んでた。あれはよくない。よくないよな』 太一『……轢かれてって……おい……どうして泣いてるんだ?』 桜庭『……わからん。たぶん猫のせいだ』 太一『たぶんって……』 桜庭『止まらない……止まらないんだ』 意外とナイーブだったりするらしい。ただし桜庭独自の基準で。 またしばらくして。 桜庭『おい、ショックだ』 太一『今度はなんだ』 桜庭『オレは、この学校のみんなから笑いものにされているようだ』 太一『今、気づくな』 滑舌よく、言い含める。 太一『もっとはやくわかれ』 桜庭『……オレは、そんな滑稽な男なのか?』 こいつはもしかして、悪意に鈍感なのかも知れない。 なんともまあ。なにかの拍子で潰れてしまうんじゃないか?当時はそう思った。けど実際は……正反対だった。桜庭は凹むわりにはタフネスで、どんな精神的惨敗からも必ず蘇生してみせた。ひとしきり傷つくと、癒すために無茶をした。旅立ったり、踊ったり、演奏したり。一週間くらいで、たいがい復活した。 …………………… そして俺たちは、なんとなくつるむようになった。桃園の誓いは、そのしばらく後の出来事になる——— CROSS†CHANNEL 学校に行こうと家を出ると、支倉曜子。 曜子「おはよう、太一」 太一「うん。じゃ、そーいうことでばいばーい」 立ち去る。背後から裾をつままれる。 太一「ぐえ……」 曜子「ちょ、ちょっとくらい話してくれてもいいのに……」 声が震えていた。 太一「キミは俺に従属的でありながら、たまに裏をかこうとする。そんなキミを全面的に信用することはできない」 曜子「適度な刺激を演出」 太一「俺を自分のてのひらで踊らせたいのだろうが、そうはイカ腹幼女」 曜子「……島友貴っぽい。ちょっぴり幻滅」 幻滅された。 曜子「いいじゃない。別に。太一、ちょっとサルっぽいし」 太一「馬鹿にしないでもらおう。俺は霊長類だ」 曜子「…………」 馬鹿にされてる気がする。くそ、反抗的な。いじめてやる。スカートをめくった。 曜子「…………」 太一「ずいぶんセクシーなショーツをめしていらっしゃるじゃないか?」 曜子「女はいつも真剣勝負」 動じない。 太一「パンツおろしますよ?」 曜子「……するの?」 太一「しない……」 曜子「どうぞ」 うー。つまらねー。この女には、フェチがない。恥じらいがない。ダメだ。彼女に俺のさくらんぼう魂を渡すわけにはいかない。肉体的にはともかくとして。 太一「じゃあこうだ」 太一袋からソレを取り出す。そして彼女の鼻をつまむ。酸欠で口を開く瞬間を待った。 曜子「……」 五秒。 十秒。 三十秒。 一分。 一分半。 太一「……あの、呼吸は?」 曜子「…………」 なんで平気なんですか?やめた。 手を離すと、彼女は軽く息を整えた。 曜子「血中の酸素量が多いと、長く止めていられる」 太一「海人さんか、きみは」 曜子「なにがしたかったの?」 太一「……口を開けさせようかなって思って」 曜子「あーん」 簡単だった。 太一「ベロ出して」 曜子「んー」 長いベロ。タバスコを振る。十滴くらい。指で塗りたくる。やーこいベロ。それに心なしか表面がざらざらしてる。最高のピンサロ嬢になる素質を持っていた。 太一「はい、終わりました」 曜子「……」 一瞬平気なのかな、と思ったが。 曜子「……っっ」 口を押さえて震えだした。煉瓦の壁によりかかってしまう。効いた。常人より秀逸な舌を持っているせいで、敏感なのだ。 太一「ジュース飲む?」 曜子「……うん、うん……はやく……」 もぎ取るようにして飲む。 太一「チリジュースおいしい?」 曜子「う……」 垣根に向かって倒れた。 太一「勝った……」 久々にまともに勝った気がする。さて、学校に行こう。 曜子「……せめ……て……おべ……んと……」 しがみついてくる。涙目で紙袋を渡そうとしてくる。多少は罪悪感も刺激された。 太一「……わかった、もらうよ」 母親ばりだ。 母親いないけど。 曜子「いってらっしゃい」 ありがたいけど、素直に喜べなかった。 坂で少女とぶつかった。 七香「きゃ……いったたたぁ……どこ見て歩いてんのよー、このスカタン!」 太一「く……なんだよ、そっちがよそ見してるのが悪いんだろー!」 七香「最初にぶつかった時から、好きだったの!」 抱きついてくる。 太一「はええ! 展開はやすぎ!」 こんな高速なステロみたことねー。 太一「……ぶっちゃけ、どちら様?」 七香「七香」 太一「ななか……うん、いい名前だ」 七香「あんがと。まああたしが何者かについては、続く調査を待つとして」 太一「幽霊じゃないの?」 七香「あー、違うと思うわ」 太一「見た感じ、かなりゴースティックなんだが」 ※ゴースティック=ゴースト的な 七香「違うわ。足あるし」 太一「いや……それは……最近のゴーストってけっこう足あるし……」 七香「まああたしが何者かについては、続く調査を待つとして」 強引に話そらされた。 太一「……いいけど」 七香「じゃ名刺渡しておくから」 受け取る。 JOB  次世代美少女 NAME ななか〜NANACA〜  あなたのハァト、癒してあ・げ・る♪ 太一「…………」 どこから突っ込もう? 七香「ふっふ〜ん」 七香とやらは誇らしげな、それこそ、 七香『惚れていいわよ』 という不二子クラスの顔つきで俺に流し目を送ってきた。 太一「ななか、の綴り間違ってる」 七香「わざとだよ」 急にマジ顔。つうか怒ってる。 太一「…………」 こいつ、やばい?敏腕ヤングアダルトとして名高い俺に、感じ取れない空気はない。 告げていた。この女はヤバイと。だって、どう考えてもミスじゃん。ありえねー。だが……狂人相手にこれ以上つつくのは得策ではない。 太一「君って激キュートだけど、ご用件は?」 七香「いやー、さっきのは爽快だったよねー」 一瞬で機嫌を直した。危険人物特有の反応だ。 七香「あの女の悶え苦しむ様!」 クスクスと笑う。 太一「見てたのか」 七香「ちらっとね。スカッとした!」 太一「……曜子ちゃんのこと、嫌いなんだ?」 七香「いやな女。べーだよ、べー」 太一「君と曜子ちゃんの関係がわからん……」 七香「ないよ。会ったことないし。ただムカつく。だから今朝は気分いいんだー」 太一「あぁ、そうですか」 七香「だから今週は轢かないであげました」 は、轢かない? 意味わかんない。 七香「よくないよねー、あーいう人」 太一「……すっごい嫌いだってのは伝わってきた」 七香「嫌いっていうか、間違ってるじゃない」 太一「まあ……」 どこまで知ってるんだろう? 七香「あんな女に……太一の最初を取られるくらいだったら……あたしが……」 暗くなった。 太一「最初?」 七香「あー、やなこと思い出した。ペッペッ。忘れよ」 太一「あのう」 七香「口直し♪」 ちう 太一「…………っ! な、なに、どうして!?」 七香「いいじゃん、減るものじゃないし」 太一「なんか、妙に焦った……敏腕アダルトであるこの俺が……」 七香「ま、あんな女のことはどーでもいいや。太一ぃ、くれぐれも惑わされないようにね?」 太一「そらまあ……されないと思うけどさ」 本当、なんなんだろう、この人。存在している密度がまるで感じられない。気配がないのだ。 七香「あのね、今日はちょっとマジでさ」 太一「はあ」 七香「ちょっとこれから、あたしと一緒に祠に来て欲しいんだ」 太一「なんだ? レイプか?」 七香「するかっ! そーじゃなくて、真面目な話。祠、知ってるでしょ?」 太一「うん、まあ」 あまり近寄りたい場所じゃないけど。なんせあそこは——— 七香「こーいうのは、ちょっと恐いんだけど……来てほしいんだ。だって太一、あの女に比べて調査甘いんだもん」 太一「あの女って曜子ちゃん?」 七香「……悔しいけど優秀よね」 太一「脳みその使い方からして違うからね。あまり考えない方がいいよ、そこらへん」 七香「そうだね。ね、お願い! これからちょっとつきあって!」 手を合わされる。 太一「いいよ……行こう」 少し、様子を見てみよう。見ればフレンドリーな幽霊。俺に危害を加えてくることはあるまい。 七香「さっすが太一! 話がわかるぅ!」 親指を鳴らした。二人で山道を歩く。俺にとっては、昨日の今日。 太一「七香、平気?」 七香「あー、へーきへーき! 体力自慢だし」 なるほど、汗ひとつかいてない。運動部なのかな。 太一「ここらへんだっけ?」 七香「もちょっと奥。で、脇の茂みとか不用意に入らないでね。罠とかあるんで」 太一「罠って獣罠?」 七香「そんなようなもの。あとで解除しといた方がいいよ」 太一「……あぶねー……あったあった。で、ここに来てどうしたら———」 七香はいなくなっていた。 太一「あれ? ななかー? おーい、ななかー! なんだなんだ。置き去りか?」 わけがわからない。とりあえず、祠には来たけど……。場所まで案内して消えるってのも、暗示的だな。祠を調べろってことか? 太一「……ふむ」 せっかく来たのに何もしないで帰るのはむなしいので、調べることにした。軽い気持ちで観音開きの扉をあけた。 ノートびっしり。 太一「……うわあ」 驚いた。飾り気のない薄暗い空間には、怪物もいなければ古い壷も短刀も水晶玉もなかったが……。ノートが積まれていた。変哲のない学生ノートの束だ。 太一「……」 取り出す。表紙には無造作に、マジックで数字が書かれている。巻数だろうか。 1と題されたノートを開いてみる。 ……。 …………。 ……………………。 一通り、読み終わった。 太一「……………………はあ? え、どういうこと?」 頭の中で整理する。 太一「つまり……」 ㈰俺にもう一つの人格があって、勝手に書いた ㈪未来の俺が書いたものがここに来ている ㈫同じ時間を繰り返している 太一「㈫……だよな」 他に何かからくりがあればともかく。そもそもこれ、俺の字だし。 太一「世界が繰り返している、わけか」 荒唐無稽ではあるが、そう理解しといた方が良さそうだ。自分の柔軟性がありがたい。人類滅亡と繋がらないけど、何か関連性があるんだろう。 太一「けど……」 どのノートを見ても、脳天気ではあるけど……。 太一「なんか全部、絶望的なあがきみたいだな」 繰り返しってことは記憶は残らないわけで。毎回、死んでるようなものだ。あの昔やったゲームのように。 太一「…………」 瞬間、俺は深い思考に落ち込んだ。そしていくつかの推測と、疑惑と、真相を、導き出した。 太一「ふむ」 祠の内部(あるいは周辺)は、リセット効果を免れているわけか。しばらく祠の周辺を調べてみた。 何も出てこない。 太一「目に見えてわかったら苦労しないか」 七香の存在もある。俺をここに導いたということはだ。あの子も、知っていた? 日記の記述を信用するなら、七香は毎回現れている。見るからに人じゃないし、それもあるか。 ノートを祠に戻す。 これはあった方がいい。万が一に俺が忘れたとしても……曜子ちゃんなら自力で真実までたどり着くだろう。ノートを見れば、今俺が考えた程度の結論には、瞬時に到達できるはずだ。 太一「あ……そうか、制服か」 七香の制服。見たこともないデザインだった。この近くの学校(山向こうに一つしかないが)じゃない。もし次に遭遇したら、尋問してやろう。 とりあえず俺がすべきこと。 毎日を過ごして日記を書くこと。 情報を残しつつ、生きること。 そう思った。 太一「どうせだったら、楽しい方がいいよな」 繰り返される孤独の世界。 でも俺にとっては、理想的な場所かもしれない。 さてと。 今週も元気に生きましょう。 ……………………。 太一「……」 まわる世界、か。この月曜を、俺は何度繰り返してきたんだろう。などと考えていると。 美希を発見。 向こうも俺を発見。 太一「おーい、ミッキー・マ———」 版権的に超厳しいネタをかまそうとしたその瞬間。 駆け出す。 こっちに向かって。 蹴つまずきながら。 太一「わっ、ごめん! 俺が悪かった! ソニー ボノ法が合憲だなんて知らなかったんだ!」 美希「うわ〜〜〜〜〜〜んっ!!」 泣いてた。 太一「どしたっ!?」 胸に飛び込んできた。受け止める。 美希「せんぱい、せんぱいせんぱいせんぱーーーーーいっ!!」 泣きじゃくる。 美希「誰もいないよ〜〜〜〜〜〜っ! おかしいよ〜〜〜〜〜〜っ、こんなの絶対おかしいよ〜〜〜〜〜〜っ!!」 弱っ!!経験値がないってことなのかな? 美希「どこの家にも誰もいないです! ほんとに誰もいないんです、いなくなっちゃってます!!」 太一「き、昨日の夜にわかってたことだろ?」 背を叩いてなだめる。女の子の涙には弱いのだ。 美希「だって、だって!」 太一「俺がいるだろ」 美希「……うううっ、はい……よかった……いてくれて……」 ギャグだったんだが。 美希「朝おきて、お母さんとかいなくて、ごはんもなくて……そんでみんなまでいなくなってたらって考えたら……」 太一「恐くなっちゃったか」 額をすりつけるよう、こくこくと頷く。 美希「いやです、こんなの……わたし、いや……」 空を見上げる。 太一「やっぱり人がいないと寂しいよな」 美希「……帰りたい……」 鋭いことを言う。ここが本来の世界ではないこと。世界’であること。美希の言葉は偶然だろうけど。 的を射ていた。 太一「帰りたいか……」 美希「帰りたい、帰りたい……」 太一「困ったなぁ、どうするかなぁ」 美希を慰める方法は、ある。ちょっと卑怯な方法。似たもの同士の俺たちだから成立する手段。一週間限りだから。なんだってできる。人が一生を懸命に、後悔なく生きる様にも似て。この一週間だけの固有の俺たちは、生き急がないといけない。 美希を誘う惹句を、いくつか思い描いた瞬間。 蹴りが来た。 霧「しゃーーーーーーーーーーっ!!」 太一「がああっ!」 霧のキックが、俺を美希からむしりとった。 太一「なにさらすねん!」 霧「痴漢行為はやめてください!」 太一「痴漢じゃない!」 霧「痴漢100%です」 太一「痴漢じゃないって!」 美希「ほああ、霧ちん……」 美希がふんにゃりした。そして霧に抱きつく。 美希「ふぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜んっ!」 霧「平気、もう平気だから」 あれ? 太一「美希や……俺の無実を証明してはくれないのかい?」 美希「えぐっ、ひくっ、うっく」 泣きじゃくっている。かわりに、霧がキッと俺を睨む。 霧「……許さない。痴漢は絶対に許さない!」 太一「違うがな!」 霧「美希が泣いてるのが、証拠です」 太一「ぉぃぉぃぉぃぉぃ」 冗談じゃないぞ。こうやってえん罪は形作られていくのか?逃げるっきゃない。 ダッシュ! 霧「あーっ、逃げた!」 学校についた。どうしよ……。 とにかく徘徊してみよう。 教室には冬子がいる。 記録に忠実に。 きっとこいつには、他に行く場所なんてありはしないんだ。 自宅で一人こもっているほど、強くもない。 太一「冬子、ちゃんとメシくってる?」 冬子「……」 一瞥だけを寄こし、視線を外した。ただそれだけの行動に、無数のメッセージがこもっていそうだ。尻目にかけられている雰囲気は感じない。ただ拗ねているだけに見える。 太一「無視するなよ」 ほっぺたをつまむ。 冬子「やめてよ!」 払われる。 太一「だって無視するんだもん」 冬子「察しなさいよ!」 怒ること。それが冬子の、交流への第一歩だと知っていた。 太一「むにっ」 冬子「やーめーろー!」 太一「早いね。今日は始業式だけで授業はないよ」 冬子「始業式だってないでしょ!」 太一「また私服で来るし」 冬子「この学校の制服なんて着たくないの」 太一「どうして?」 冬子「バカに見られるでしょお!?」 太一「ひどい言いぐさ」 誤解だし。 太一「ただみんなオツムが普通でないだけだ」 冬子「そーゆーのを世間は馬鹿にするじゃない!」 太一「だから、闘うんだろ」 冬子「……はあ?」 太一「攻撃から、どうやって身を守るんだよ。そいつらと同じように振る舞って、普通に振る舞って、溶けこまないとダメなんだよ。そういう技術がいるんだろ?」 冬子「……なに本気の話しちゃってるの? 朝っぱらから ……だいたい、他人なんてもういないじゃない。なにしたって無駄なんだから」 太一「毎週そうやって何もしないのか?」 冬子「毎週?」 失言だ。誤魔化さないと。 太一「ですわ言葉のおばさん予備軍」 冬子「ぬぁんですってーっ!?」 太一「それそれ」 ノートにあった着火のススメに則って、冬子を活気づけるか。 太一「今の冬子のオバサン度は92%だ。平均が25%だから致命的だな。しかも加齢とともに1%ずつ増えていくから、おまえ三十路のずっと手前で完膚無きまでにオバサン完全体になるな」 冬子「……………………」 秒読み開始。3……2……1……。 冬子「○×△□$#%&○×△□$#%&ッッッッッ!!」 燃えた燃えた。燃焼力が冬子の生きる力になる。 ……かどうかはともかく、頑張れ。内心、エールを贈った。 冬子「なんとか言えぇぇぇ!」 太一「わっ!」 攻撃を避けた。潮時か。 太一「じゃーねー」 冬子「あっ、ま、待ちなさいよっ!」 適当なところで、休憩することにした。食堂でサンドイッチを食べる。食べながら考える。一週間の世界。不思議と抵抗がない。俺にとっては、ずっと先まで続いている世界より、生きやすいと思うからだ。 繰り返される日々。 ふと考えた。 考えてしまった。 幾度となく紡がれる一週間。その中で、全員が和解する可能性はないのか?放送部八人の結束はバラバラだ。誰か一人と和解しようと思っても、簡単にはいかない。日記から読み取れたことでもある。 もしあるなら。 ……見てみたい。 曜子「はい、お茶を召し上がれ」 太一「……んー」 太一「んっんっんっ……ぷはーっ! 冷たくてうまいな、おかーり」 プラスチックのコップを差し出す。彼女はコップを受け取ると無言で水筒の中身を注い支倉曜子がそこにいた。 太一「……気配を消すな」 曜子「どうして?」 太一「いきなりそばに来られると驚くから」 曜子「別に消してるわけじゃない。自然にそうなるのよ」 太一「……唐突に声をかけられたら、誰だって驚くんだ」 曜子「油断?」 太一「いや、油断したいから」 曜子「怠慢?」 太一「のんびり生きたいって意味だよ」 曜子「……もったいない」 太一「疲れるよ。いつも刺々しく気を張りつめてさ」 曜子「そういうのを日常化すればいいと思う。太一のは、ただのさぼり癖」 太一「絶交しますよ」 曜子「……撤回するわ」 口論が発生しない。駆け引きが成立しない。トラブルが起こらない。受けるばかりで、何も与えられない。心の交流がない。 太一「自分の一部を、愛でるような感覚なんだよね」 曜子「……違う」 理解ははやい。けど、俺を理解してはくれない。 曜子「私は太一を愛でてるだけ」 太一「……ま、そういうことにしとくよ」 面倒になった。どうせ何言ってもこたえないし。俺が彼女に対して、効果的な一撃を加えるとしたら。 ……一つ。 それは小さな刃。だが確実に、崩せる。曜子ちゃんもその存在を知っている。だから警戒してる。牽制しあいつつ、俺たちは生きている。 太一「まったくなぁ」 パクつく。 くぅ 曜子「…………」 太一「……座ったら?」 曜子「……いいの?」 太一「ご自由に」 ぴったりと身を寄せてきた。二人分あるサンドイッチ、半分放る。 曜子「ありがとう」 太一「自分で作ったものでしょ」 曜子「ええ。ありがとう」 太一「……」 こんな交流。いくら重ねたって。ただ形をなぞっているだけだ。それは……俺もか。 太一「まあ、なんとかなるよな……」 ……………………。 …………。 ……。 太一「ほ……」 いろいろ動き回ってみた。日曜日の部活。世界最後の日に、皆で大団円を迎えるため。だけど……困難さを感じた。全員を和姦……じゃなくて和解させるには、そーとーなパズルが必要だ。 祠に向かう。 大量のノート。 読み切れないほどの分量だ。 美希を手込め(表現に)にすると、霧がダメになる。 情報が増えるのは良いことだ。 けど増えすぎると、解析する時間がなくなる。 ジレンマだ。 俺は夜中まで、頭を捻り続けた。 曜子「太一」 背後から、ライトがつく。懐中電灯だ。そして曜子ちゃんだ。 太一「んあ……明るい……」 曜子「いくらその目でも、文字を読んでたら悪くするから」 太一「ん……ごめん」 曜子「なにか発見はあった?」 太一「ない。知恵の輪に延々とハマってるみたいだ」 曜子「そう、残念ね」 太一「曜子ちゃんはこのノートを……」 問いかけて、口をつぐむ。彼女に頼ることだろうか。 太一「いいや。帰ろう」 立ち上がる。ノートは一応、祠にしまう。何冊かは手にする。読める分は。 曜子「……一緒に帰っても、いい?」 太一「いっつも監視してるくせに」 曜子「ごめんなさい……」 CROSS†CHANNEL 桜庭「よう」 太一「ほれ」 マスクを渡した。 桜庭「OK」 何の疑問も持たずにつけた。 桜庭「腹が減った」 太一「食ってないのか?」 桜庭「一時間目の授業に備えている」 太一「……カレーパンを食うのが授業なのか」 桜庭「カレーパンがなくなるその日まで」 クールに決めた。記録通りに。 太一「レトルトのカレーでも食ってればいいじゃないか」 桜庭「カレーは嫌いだ」 記録通りだ。どんどん成就していく。 桜庭「ヘックス!」 太一「……六角形の惨劇」 これも記録にあった。発生率は、今まで確認しただけでも15%以上。七回に一度は、鼻汁橋をぶち込まれる計算だ。だが過去の偉い人(俺)は、マスクを装着させることで回避する術を編み出した。 桜庭「……マスク、取っていいか?」 太一「それは許可できない」 桜庭「つらいな……人生は」 太一「俺が言いたいよ」 さてと。 太一「よ、来てるなー」 冬子「……つーん」 太一「……つーん」 と、胸をつついた。 ごっ!! 冬子「……………………あんたは……死にたいの?」 太一「も、もう死にそうになってマス……」 一撃で地面にキス。 太一「そう怒るな。プレゼントがあるんだ」 冬子「いらない」 太一「まあまあ、見てから言ってくれよ。きっと気に入ると思うんだ」 冬子「いらないってば」 太一「いろいろ悪いと思ってるからさ」 冬子「嘘ばっかり」 太一「俺には冬子が必要なんだよ」 冬子「……嘘ばっかり」 太一「ほら」 机の上に、指輪ケースを置く。 冬子「……! これって?」 太一「俺の、気持ち」 照れたように視線をそらして。 太一「こんな時代だから」 鼻の下をこする。 太一「俺のブロークンハート、受け取ってくれるだろ?」 冬子「……私……でも!」 太一「いいんだ、何も言うな。俺の気持ちは、言葉じゃ伝わらない」 冬子「太一……本当に?」 無言で頷く。 冬子「じゃあ……もらおう……かな」 そっとケースを持ち上げる。 冬子「あけるね?」 太一「ああ。俺が、身につけさせてあげるよ」 冬子「……やだ、キザ」 太一「ははは」 冬子「ふふふ」 そして冬子はゆっくりとケースをあけた。 冬子「……指輪ケースにどうしてパンツが入ってるのよ!」 太一「ほげーっ!」 殴られた。 殴られた。 冬子「あああああああっ、この男はーっ!! きーーーーーーーーーっ!!」 頭をかきむしる。 太一「待て冬子」 冬子「なによ!」 太一「これはただのショーツではない」 落ちた下着を拾い上げる。股間に指を通す。本来は存在しないはずのスリットから、指はすんなり貫通した。 太一「プレイショーツなのだ。脱がずにできる」 先をくいくいと曲げた。 冬子「……フフ」 あ、やばい。 冬子「すみやかに死んで、太一」 太一「ぎゃー!」 学校中を追いかけられた。くたびれた……。 太一「なんか……全然進展しないな」 曜子「でしょうね」 神出鬼没。支倉曜子。 太一「……見てたの?」 曜子「全部ではないけれど」 太一「悪趣味」 曜子「……汗、かいてる」 ハンカチでふいてくれる。 太一「いいよ、汗なんて」 のける。でもやめてはくれない。強く拒絶しなければ、駄目なのだった。 太一「ま、いいけどさ……」 夜、友貴が食料の箱を持ってきた。その中から、適当に見繕って夕食とした。暗い部屋で、ベッドに寝ころんでいろいろ考える。 太一「……」 ハッピーエンド探し。これはそう呼ばれる行為のはずだ。一人一人の問題をある程度理解しているつもりなのに、うまく行かない。時間は一週間しかないのにだ。誰か一人と近づくのに、一週間。全員だったら七週間。桜庭や友貴、曜子ちゃんは抜くとしても。 四週間。 四倍の密度で行動すればいい……というものでもないだろうし。 太一「むず……」 解決策など閃かぬまま、眠気に落ち込んでいった。 ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 冬子がいない。太一「……そうか」 この時間帯はよく自宅で衰弱しているはずだ。 指笛を吹く。 太一「曜子先生!」 曜子「……なにか用?」 太一「みみ先輩が屋上で怪我するから、止めて」 曜子「……助ければいいの?」 太一「そう」 曜子「わかった」 こっちは、よし。 ……………………。 太一「あ」 冬子を発見。 ふらふらと、こっちに歩いてきている。 太一「今週のヤツはすげえ!」 助けずにはいられないね。 太一「あなたには根性があるワ!」 詰め寄った。 太一「これを食べるんだ、飢えてる人」 冬子「……やめて」 手を払われる。 太一「ちゃんと食べてないだろ?」 冬子「あんたに、関係ない」 よたよたと歩いていく。あとをついていく。 太一「自分しか自分の心配をしてくれる人間がいないのは、つらいだろ?」 冬子「何言ってるのかわからない」 太一「人に心配されたい。満たされたい。見られたい」 冬子「……」 太一「俺、ちょっとは心配なんだけどな」 きっと俺を睨む。 冬子「よく、言う」 区切った言葉には、憎悪に近いものが挟まっていて。 冬子「心配してるなら、どうして、どうしてっ!」 いきり立つ。 太一「……桐原」 冬子「なによ!」 太一「顔色悪いな。生理か?」 びたーん! 冬子「馬鹿じゃないの!」 呪詛を吐いて、出て行く。 太一「あ、サンドイッチ……」 ため息。 太一「……あんまいい死に方できないな、俺」 気を取り直して——— 太一「おい、反転属性つき勝ち気娘」 冬子「はぁ……?」 太一「これをやると言ってるんだ」 サンドイッチを差し出す。ぽかんと、見つめる冬子。 冬子「なに、コレ」 太一「あんまん」 冬子「んなわけないでしょ!! サンドイッチでしょ!」 太一「知ってるじゃないか。ほれ」 ずい 冬子「……やめて」 はねのけられた。紙袋が落ちる。拾う。 太一「飢えてるからそんなフラフラしてるんだろうに」 冬子「あんたに、関係ない」 そっぽを向く。 太一「心配なんだよ。こんなことになったからって、幸せっぽくても、いいじゃん?」 冬子「何言ってるのかわからない」 太一「俺、おまえのこと好きだし」 びたーん よろめく。今度は、全然痛くなかった。 冬子「……うう……」 攻撃したあと、へたりこんでいた。 太一「もし?」 冬子「……ん…………」 目頭を押さえて、青い顔をしている。 太一「……冬子」 そばにかがみ込む。 冬子「呼び捨てないでよ……」 絞り出すように言う。一瞬で、額に汗が浮いていた。 太一「どこか痛むか?」 冬子「……」 太一「こんな状況なんだぞ。休戦だ休戦」 もう医者はいないのだから。 太一「冬子!」 冬子「目が見えない……」 太一「なにぃ?」 栄養失調で失明か? ぞっとする。 太一「他には? 他に調子悪いところは?」 冬子「気持ち悪い。ふらふらする……吐きそう」 太一「吐くか?」 冬子「……や」 太一「じゃ横になれって」 促す。 冬子は抵抗しなかった。 太一「目は?」 冬子「まっくら……」 太一「ん……」 失明……にしては急だな。仮にそうでも、重篤な疾患や臓器におよぶ大怪我よりはマシだ。 太一「冷静にな。パニックになることはない」 冬子「…………大丈夫よ」 太一「ここ数日、体に異常は?」 冬子「ない」 太一「目に劇薬を浴びたとか」 冬子「ないわ」 本当に突然か。 冬子「あ……」 太一「どうした?」 冬子「ちょっと見えるようになってきた」 安堵。 太一「じゃあ貧血だな、たぶん」 冬子「貧血?」 太一「そういう症状が出ることがあるんだ。気持ち悪いのもそのせいだ」 冬子「そう……」 太一「気持ち悪いのは?」 冬子「ちょっと……楽になってきた……」 太一「……本当に、ちゃんと食べてないから」 冬子「…………」 太一「食欲、ないわけ?」 冬子「……夏はいつもないの」 太一「でも貧血が起きるのはまずいよ、先生。今日は何食べた?」 冬子「…………」 何も食べてないのか……。 太一「ほら、砂と魔女」 冬子「……え?」 太一「サンドウィッチ。神話の中で、砂と魔女を挟んで食べたのが由来なんだ」 冬子「…………」 冬子は目頭をこすった。 太一「目はどう?」 冬子「見える」 太一「なら、ほら」 冬子の手、じりじりと水位があがるように、それをつかむ。 太一「よしよし」 冬子「ペットじゃない……」 ツッコミにも力がない。 太一「手作りだぞ」 わさわさとラップをむいて、小さく齧りついた。 冬子「……ぱさぱさしてる」 太一「朝のだからな」 冬子「大きいくて食べにくい」 太一「俺用だったし」 冬子「マスタード入れすぎ」 太一「辛いの大好き」 冬子「…………」 太一「で、まずいと?」 冬子「…………おいしい」 太一「ならば、ゆっくり食え」 冬子「ぐじ」 鼻をすすった。悔しかったらしい。やれやれだ。 冬子「うっ」 口元を押さえた。 太一「吐くか?」 首を振る。無理して、嚥下した。 冬子「……何か飲みたい」 太一「マイ水筒。滅亡世界の必需品」 渡す。 冬子「……」 ずいぶんと迷って、直に口をつけて、器の尻を持ち上げた。喉が隆起して、水分を摂取する。旺盛に。 太一「……水分くらい補給してるわけ?」 冬子「だって、水道出ない」 太一「田崎商店」 冬子「……行ったけど。帰る途中で転んで、坂の下に全部落ちた」 太一「不器用ちゃんか、おまえは。店に取りに戻ればいいだろうが」 冬子「……そしたらまたあのメモ書かないといけなくなるから」 冬子「人に見られたら……」 太一「はあ?」 それだけで? 体面の問題だけで? 太一「自分の命優先だろうが!」 冬子「だって」 泣きそうになる。 太一「はー、桐原先生、そりゃ呆けすぎですぜ」 冬子「デリケートなの!」 太一「人がいなくなったら、そんな価値観は消える」 何も許容されなくなる。求められるのは。生きる力。それは純粋な個としての人。あらゆる欲望が、蔑まれさえしていた欲求に簒奪される。冬子にそれがあるとは思えない。 いや。 とうに、わかっていたことだ。冬子の凄絶な弱さを。 理解した。 こいつはもう限界なんだって。人類が滅亡して、家族もいなくなって、あの広い屋敷みたいな家で。 一人で——— 太一「……これから、八人だけで生きていかないといけないんだぞ」 冬子「……………………」 沈黙が重い。 冬子「みんな死ぬわ」 太一「死ぬさ」 誰にだって、逃れられない死が待ってる。 太一「問題はいつ、どう死ぬかだろ」 冬子「こんな……ありえないじゃない……人が……いなくなるなんて」 太一「でも現実だ」 突きつける。 太一「世界は人を塗りつぶした。俺たちだけが、『互い』だ」 冬子「私には耐えられない……」 太一「うーむ」 この流れは……。仕方、ないのかもしれない。関わったのだ。望んで。俺が冬子と築きたかった関係は、決して蜂蜜のようなそれではなかったけれど。この壊れかけの少女を、放置するという選択はない。 途中まではいい。 けど……終端についたら? どうする? 俺はどうするんだ?もう逃げ場はないに違いない。冬子ルートとも言うべき流れに乗って、際まで行って、そこで全てが崩壊したとしても。今度はその終焉までつきあわないといけない。 爛熟〈らんじゅく〉という苦痛に苛まれながら。 太一「どうしても耐えられないなら」 冬子「え……?」 敏感に冬子が反応した。口をつぐむ。 冬子「……どうしても、何?」 太一「いや、それ、全部食べていいから」 立ち上がる。 太一「なあ」 冬子「……んが?」 サンドイッチを囓りながら冬子。 太一「どうして、人は滅びたんだと思う?」 窓の外を見る。何を期待して問うたわけでもない。 冬子「滅んだんじゃないわ」 とんでもなく哲学的な答えが戻ってきた。 冬子「……薄くなって消えてしまったのよ」 CROSS†CHANNEL ベッドに寝転がる。明るいうちに調理は済ませたいところだが。気力がわかない。 俺の望みは簡単なのに。 攻略ノートまで頼りながら……三日かけて……結束ひとつ取り戻せない。 結束。放送部全員が肩を並べて行う部活動。明るく楽しく健全な、ラジオ放送。ノートはその性質上、結論が記されない。どの方法が、望む結末に近いのか、俺は判断できない。 太一「木曜、金曜、土曜……」 あと何日残っている? 知らなければよかった。 世界が終わるなんて。 太一「うぅぅ……」 低く、呻く。不思議世界でありながら、もどかしい現実でもある今に対する、憤りだ。 せいぜい三日か四日。 太一「何ができるんだ……それっぽっちの時間で」 拳を握って。グラグラと煮えたぎる感情のうねりが、怒りのそれと似て体を熱くした。 いつまでも——— ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 俺は行動した。 ノートにあった記述を参考に、その場その場で最適の行動を取った。 幸せのため。 結束を築くため。 仲間・友情・絆。 そんな白々しいもののため。 そして無駄な一日を終えることになった。 これっぽっちの偽善さえ、積むことはできずに——— ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 金曜日になった。 本来であれば、各人との関係にも変化がある頃のはず。 けど八方美人に進めてきた俺は、何も得られないまま時間を浪費してしまった。 みみ先輩とも、冬子とも、霧とも、美希とも……。 互いの距離感は、絶望的に遠いままだ。 ……………………。 CROSS†CHANNEL 半日かけずり回って、成果なし。 太一「はあ」 疲れた。 正門前にしゃがみこみ、夕刻前一足先に途方に暮れる。 と、肌になじみのあるざわつきが、遠方から接近してきた。 曜子ちゃんだ。 珍しい。こんな無防備に。 曜子「……手伝うことはある?」 俺の前に立って、言う。 太一「いや、今のところは……」 流しかけたのに、つい問いかけてしまう。 藁をも掴む心境だった。 太一「ねえ……どうやったら、みんなでうまくできるのかな。みみ先輩がやってる部活にみんなで仲良く参加して、適度に青春して、おどけて、笑って……そういうルートって、ないのかな? いさかいを解決できて、互いを尊重しあって、希望があって…… 仲良くケンカして、放送用台本をみんなでチェックして、協力してトラブルに対処して…… ないの、かな?」 あるいは、彼女だったら知っているんじゃなかろうか。かすかな希望を抱いて。 曜子「ないと思う」 太一「……」 平坦な調子の声は、いつもより冷たく聞こえる。 曜子「そんな可能性は、どこにもないと思う。太一が、この世界、この状況で、全員の仲を取り持って安全に部活にこぎつけるためには……もっと時間をかけるか、もっと良い状態からスタートするか、しかない。そのどちらも、太一にはない。絶対的な限界があるの。だからいくら頑張っても、無駄だと思う」 太一「……そう」 ハッキリ、ないと言われてしまった。 太一「こういうことを言うのは、フェアじゃないんだけど……冷たい方程式だよな、それって」 彼女は応えない。佇立して、俺の言葉を待っている。 太一「毎回、バラバラの状態からスタートしてるってことじゃないか。何も成し遂げられないまま終わって……ループして……最低の毎日を幾週間も……。なんの冗談なんだよ、こりゃあ」 頭を抱えた。俺の心の空腹を満たすものは、何もないのだ。 曜子「太一……ノートは、あれで全てではないの」 唐突に彼女は口を開く。 太一「なんだって?」 曜子「もっと破滅的な歴史と可能性を示したノートもあるの」 太一「それは?」 曜子「……隠したから。あなたが、傷つかないように。あるいは……諦められるように……見る?」 太一「……」 破滅的な歴史……。 曜子「どう足掻こうとも、どう闘おうとも。ありとあらゆる可能性の中に、あなたを理解してくれる人は……いないの。ただ、私だけをのぞいて……もう、そろそろ理解してくれてもいいと思う」 太一「理解は、してるさ。付け加えるなら、君だって俺を愛してるわけじゃないだろう!?」 叫ぶ。 太一「何なんだよ、この世界は!」 深々と息を吐き出した。苛立ちとともに。 太一「ねえ……ここは異世界なのかな」 曜子ちゃんは俺の前に立った。そしてつま先で、地面に『X』の字を描いた。 曜子「可能性は二つ。一つは、線形だった二つの世界軸が交錯し、互いに知覚できる状態になってしまった……SFね」 二本の世界。 ねじまがって、交差。 太一「世界が重なって、異常が起きたってことか。ん……その場合、俺たちの元いた世界は? そのまま保持されてるってことじゃ———」 曜子「もう一つは、私たちのいた世界の結末がコレだった」 だが彼女は安易な救済を、半分だけ否定してのけた。 太一「…………多世界同志の干渉はありえない……んだったね。量子力学だと」 量子力学といえばディラックだが、俺は原書を読んだことはない。そもそも今の状況が、量子力学的解釈にふさわしいものかどうか。 太一「……さっき言ってた、SFの方なんだけど……あれは?」 曜子「AとBのどちらかを選ばないといけないとする。どっちを選ぶ?」 太一「……半々だな。内容がわからないなら」 曜子「そう。私たちは日々、無数の選択の上に生きている。たとえば歩き出すとき、どちらの足から前に進めるのか」 曜子「ごはんのおかずを何から食べるのか。もっとミクロの世界でも、選択は行われる。ありとあらゆる瞬間、無数の選択が行われている。世界は選択によって作られている。それも、極めて確定的に」 太一「確定的に……」 曜子「たとえば太一はAを選ぶ。太一はAを選んだことを自覚している。けど同時に、その同じ世界軸にはBを選んだ太一も存在する。並列的な世界の存在を意味するものではないけれど…… ただ少なくともディラックの概念では、A選択世界からB選択世界を知覚することは不可能。逆もまた然り。逆に知覚できるなら、世界間の移行はありうる。紫外線を目視できる者にとって、世界がまったく違うものであるように。多世界を観測しえた者は、その二つの世界に存在することができる。観測が成立した瞬間、その世界の者になっている……とも考えられる」 太一「観測……した……? 世界は変わらずそこにあって、要するに見る者の違いってことかな?」 曜子「そんな感じ。ただ多世界観測は、現行の理論ではありえない。私たち複数が一斉に移行した理由にもならないし。だからSF」 太一「……ふむ。二つ目の可能性については?」 曜子「私は、こちらが本命だと思う。つまり他の世界は観測されてない」 太一「……んー、さっきのSF解釈はナシってことね」 端正な顔が頷く。曜子「世界、時間、固有の歴史。すべて一続きのもの」 曜子「つまり……時間も巻き戻ってはいない」 太一「……え? それはおかしいよ。日記には月曜から土曜あたりまで記述があって……そこからまた月曜に戻っていたりするんだけど?」 曜子「ループしているように見えるに過ぎない。当然世界は、永遠の時を繰り返しているのではない。この結末が、世界の確定的な結末だった。世界は交差していない。異変は起きてはいない。一続き。もともと、こうなる可能性が許容されていた世界で、私たちは可能性に乗って順当に今に立った。多世界間での知覚の交錯が起こったように見えるけれど、実際は一繋がりの道を進んでいるだけ」 太一「ループしているようにって……実際俺たち、何度もリセットかけられているわけで…… そもそも元の世界でループなんて現象、起こったこと……」 気づいた。 そうか。 太一「自覚できないんだ……」 ループが起こったことを、俺たちは本来自覚できない。祠という特殊な場所が存在してくれない限り。 現象は決して露見しない。 太一「世界には、もともとループという現象が予定されていた? 人類の黄昏として?」 長い線路の端に。何も大地が崩壊するばかりが、滅亡じゃないんだ。時空が乱れて、先に進めなくなることが……終焉であることだって。 太一「でも……でもさ……」 曜子「特定の条件……この場合、日曜日の規定時間に到達した時、世界は一度分解されている……としか言えない。空間的に記録された情報に従って、分解された粒子が収束、月曜朝の状態に戻る」 太一「でも、世界としては一続き……」 曜子「その証拠として、例の社をあげる。ノートの記述内容は過去の存在を示すものよ。過去が観測できる以上、過去はある。この世界は、過去を許容しているということね。そして私たちは、何度も分解され構築されてここにいる ……厳密に言えば、私たちはもう人ではない気がする」 太一「じゃあ何だっての?」 曜子「現象」 適切すぎる言葉が、心に染みた。もう人じゃない——— 太一「君は一繋がり説だって言ったけど、でも俺には前者の方もそれっぽく聞こえる。どっちが正しいか、今のところは判断できないんじゃあ……」 曜子「私たちにとってループしているように見えても、実際どうかは調べようがないの ……だったらまずは、今ある理論を適用するしかない。現状、世界間の移動はありえないと思われるから、移動なしの仮定としての後者」 太一「ああ、なるほど……」 量子力学における多世界解釈は、並列的世界の存在を裏付けるものじゃない。それは誤認であり、実際はもっと確定的な思考実験だ。そこでは、世界Aと世界Bは同時に存在しているが行き来はできない。 なぜなら同時に存在しているからだ。このあたり、理解が少々厄介ではある。 太一「ディラック、せめて訳書があれば読んだんだけど」 曜子「仮に従来の理論を逸脱していたとしても起こりえないと思っていたことが起きた。それだけのことよ。物理的な地平は広くて、人はまだその全てに手を広げたわけじゃない。そして今の私たちに、理論は些細なことでしかない」 曜子「必要なのは、なに?」 太一「わからない」 曜子「理解者、でしょう?」 微笑む。 太一「…………」 曜子「太一の理解者なら、ここにいる。他の誰も、あなたのことを理解してはくれない。擬態をすればするほど……」 そうだ。 当然のことだ。 人のフリをすれば、フリだけが自分になってしまう。 隠した内面を見られたが最後、おしまいだ。 思い出す。 太一「わかってたさ……そんなこと」 太一「あのときから、とうに!」 ……………………。 曜子「いれば傷つけるだけ。太一のエサでしかない」 太一「うるさい、だからわかってるって!」 曜子ちゃんは押し黙る。 太一「でもできたら、そんなことは……ない……そうはしたくない…… なんとかなるはずだ……」 曜子「私だけがいればいい」 自分の胸元を押さえて。 曜子「私だったら、太一とうまくやれるから」 どす黒い感情が、下腹部にたちこめた。 太一「…………」 言いたいことは山ほどあった。 けど、彼女に何を言っても意味はない。 俺はただ、するべきことをするだけだ。 ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL そして、日曜日。屋上。すべての準備が整う。 ……はずだった。アンテナは、破壊されていた。世界には『8人』しかいないのに。みみ先輩は破壊された尖塔の足下にいた。 うずくまっていた。 肩に手を置こうとすると、避けられた。 友貴と桜庭が来た。 冬子が来た。 桜庭が友貴を殴った。 殴られた友貴の口元が、不自然に歪んだ。扉が凶兆をはらんで開き、霧と美希がやってきた。殺傷力有した霧だった。それからはもう、転げ落ちるだけだった。あかされる真相。裏切られる絆。幻影よりはかなく脆い結束。 違う。 違う違う違う。 俺が期待していたのは断絶じゃない。 冬子が死ぬ。 雑音が高まる。 霧が敵意を俺に向けた。 瞬間、俺は霧を殺したくなった。 そして曜子がみなを殺し・・・ はい、おしまい——— 廊下を走る。 学生たちのさざめき。 無数の靴音。 ドアが開く音。 鐘の音。 無音。 無音に。 なにも伝達されないはず。 曜子「太一は、よく生きたと思う。何度も何十度も何百度も何千度も、可能性を探し続けた。けどその中で、太一の求めるハッピーエンドは一つもなかった。すべて、バッドエンドに近いものでしかなかった。バッドエンドしかない ……もう、理解できるでしょう?」 太一「…………」 血の臭いとともに、彼女が追いかけてくる。 太一「なぜ殺したんだ?」 曜子「……あなたには、私だけ。それを知って欲しかった。もう、こんなことは終わりにして。それで、二人で暮らしていけばいい」 太一「それはできないよ……」 曜子「そう。じゃあ、待つ、いくらでも」 お屋敷の日々は、どす黒い不浄に浸されていた。窓に映る己の姿が少女めいている。当然だ。 女装してるんだから。 ルームメイトがいた。 支倉曜子。 彼女だ。 そして夜ごとに僕たちは、引き立てられた。児童虐待もいいところだ。だがそうじゃない。曜子ちゃんも僕も、彼らに保護されている、という名目だ。 僕らは毎夜、人々の劣情の矛先によって傷つけられた。毎日、毎日だ。 傷つける者と傷つけられる者がいた。そして僕らは、傷つけられる者の末路を見た。引き裂かれた夫婦。耐えるしかなかった。 生き残ることを期待するだけだった。心も体も、全身を傷だらけにして、僕らは生きた。 そして契約。心に刻まれた生存同盟。誓いだけで、充分、生きる力にはなった。あの男さえ来なければ——— 陵辱が過激さを増して。僕らは、計画を練った。戦力は子供二人。そして地の利。大切なのは、一網打尽にすることだ。各個撃破するには数が多すぎる。 不可能を可能にする方程式が必要だった。時間をかけ、道具を用意し、訓練し、観察し、変更し、検討し、保留し、購入し、改良し、調査し、決定し、撤回し、キスをした。 僕らが彼らに与えるものは破滅であり、それまでに奪われるすべての尊厳が代価だ。彼女の純潔も、彼らに奪われる前に処理をした。僕らは一心同体で、姉弟で、繋がったものだった。互いのやりとりは、交歓でさえなく。 まさに処理だったのだ。 計画は停滞しながらも着実に組みあがっていった。 そして決行の日。 死者14名。 子供は、獣となった。そして僕らは……解放された。被害者として。そう、いたいけな少年少女として。哀れな犠牲者。 犯人は……、 太一「すごく大きくて……髪の毛のない……男の人、でした」 怪物的猟奇事件は、深く暗い迷宮に幽閉されてしまった。 CROSS†CHANNEL 社周辺はいつも一定の温度に保たれている。 俺はなぜここに来たのか。先週の日曜日、合宿からの帰り道からこっち、一度たりとも来たことはなかったのに。 戻りたい。 そうだ、俺は逃げたい。この誰もいない世界から。殺戮してしまった世界から。なぜなら俺たちは、 草むらをかきわける。ここを通過したのだから。通過した、というと語弊があるだろうか。俺は目を凝らしただけだ。あのとき。 強引に仕組んだ合宿が失敗に終わり、全員が寒々しい気持ちで歩いていた。通常教育機関よりはるかに長い夏休みの、最後の数日を消費して。みんな苦々しく感じていたんだろう。 俺も、そうだった。逃げるように先頭を歩いていた。逃げたかった。そんな俺の目が、とらえたもの。本能的に、向こう側の空虚な様を感じた。いっそ一人になってしまえと、当時は刹那的に考えた。 俺は目を凝らした。 すると世界は、だまし絵のように、入れ替わった。 太一「……」 俺は、二つの世界を観測する者だと。そして世界が、思ったよりずっと荒唐無稽だったことを知った。苛立ちに見舞われ、祠を蹴った。 衝撃で扉が開く。ここを開くのは、悪戯好きの俺にしても生まれてはじめてだ。内側をのぞきこんだ。 ぎょっとする。 太一「なんだよ、これ……」 そこに詰められていたのは、天井までびっしりと詰められた、ノートの束だった。 太一「これは……?」 隙間がないくらい、大学ノートが押し込められている。薄ら寒いものを感じて、一冊を抜き出してみる。ぞっとした。俺の字じゃないか。 どれも、これも! 太一「これも……あ、これもか……」 書いた記憶なんて、ないのに。筆跡を追う。一冊……二冊……。読み進めるごとに、混乱が膨れていく。七冊……八冊……。ある一点を超えた疑問は、脳内で瞬時に有機的結合を果たした。 太一「……繰り返されて……いる?」 そして俺は、誰かと恋仲になったり、よりを戻したり、和解したりしながら……一定の確率で、全員が結束する幸福な結末を求めた。世界は一週間で終わる。たったそれだけの時間だ。繰り返され、リセットされるとわかっていて、なお——— 友情、絆、団結。言葉はなんでもいい。『それ』を求めたんだ。結果は……冷酷なものだ。あるはずのないハッピーエンド。 七香「……太一」 太一「七香……?」 週頭に出会った少女。だけどノートには、その存在が示されていて。 七香「太一」 太一「……なんだよ、これ……どういう事態なんだよ? ……みんな……死んだよ……けど、じき全部がなかったことになって、また最初からやりなおしだって? なんだよそりゃあ! 数え切れないほど挑戦してきて……」 ノートの束の数だけ、いや、記録されていない可能性を含めればこの数倍はくだるまい。 太一「コレか?」 あの騒ぎでくすんだ血液のこびりついた、てのひらを突きつける。 太一「こんなオチしかねぇのかよ!! もうちょっとさぁ……気分のいい結末って……ないのか?」 太一「俺は何回繰り返してきたんだ? 何回繰り返すんだ? どれだけ間違えれば気が済むんだよ! 何度、こういう破滅を過ぎれば……辿り着くんだよ……どれだけの回数……みんなを……」 木の幹を叩く。 太一「みんな、俺にとっては必要だったのに! ……俺は一回でも、幸せな終わり方をしたことがあったのか? 答えろよ、おまえは知ってるんだろ? すごい力ある何者か、なんだろ? この世界の、そりゃもう顔役なんだろっ!?」 ねめつける。少女は悲しげな顔で、俺から目線をずらした。 七香「太一……」 太一「答えろよぉ」 七香「ねえ、別にハッピーエンドじゃなくてもいいじゃない? 誰かと個別につきあって、幸せになったり。友達と遊んだり。ずっと、いつまでも、ここで遊んでいいんだよ? やり直しのきくこの世界で、太一はストレスなく生きていいと思うんだ。気楽じゃん? それじゃあ、だめ? あたしも、いるしさ。だめぇ?」 太一「……幸せの裏側で、みんなを手にかける可能性もあるんだろ? 俺がやらなくたって、彼女が手を下すこともある。幸せな週末と、不幸な週末が、同じにあり得る。表裏一体みたいに、不幸でも幸福でもある。幸福はいくら積まれたっていいさ。けど罪は……」 ノートの束を引き倒す。それはドミノ状に崩れ、地面を一部覆う。 太一「罪は、延々と記録されていくんだぞ? そんなんで……ストレスなく生きていけるか……」 太一「何が気楽だ……ここは……地獄だ」 七香「……太一」 太一「何が楽しくて、仲間を傷つけるんだよ。どうしていつも、我慢しないといけないところで、弾けるんだよ! 俺のどこが、尊いものなんだよ! 世界がリセットされるというなら、俺が今までおかした罪がどうしてここに記録されるんだよ!! 豊が俺にしたことは決して虚構にならない。罪は、ずっとそこに在り続けるんだぞ? そして人がいる限り、俺の罪は増していくんだ。だから合宿の帰り、俺はどっかに行っちまいたかった。俺一人しかいない場所に、行きたかった ……なんで、みんなまで巻き込まれたんだ?」 七香「それはね、太一」 同情の顔が。 七香「それはね……太一がみんなを見たから」 太一「……なんだって?」 七香「ここに取り込まれた時、太一はみんなを見たじゃん……一人になるのに怯えて、背後を見たんだよ? 太一はみんなを観測して、引っ張り込んだ」 太一「……俺が……?」 七香「自分でも言ってたでしょ。他人が必要だって」 太一「傷つけるために?」 七香「ううん。自分が自分であるために———」 太一「俺、自分のことは嫌いだ……」 七香「そんなこと言うな、ばか!」 どつかれる。まったく衝撃は感じなかったが、心は揺れた。わずか。 七香「ばか、ばか……」 胸板を幾度となく叩かれる。 太一「……ごめん」 二つの拳を胸に置いたまま、七香は言う。 七香「確かにあんたは、心の中にこわいものを飼ってる。人間は貴くないし。世界は美しくないし。でもさ、太一はひとつだけ、きれいなものを持ってるじゃない?」 太一「……何も持ってないよ。ただ黒いだけだ。人を傷つけることに特化した心が、美しいはずない」 七香「でもその太一が、こんなにも普通に焦がれてる」 太一「……」 七香「健全なものを夢見て、それを真似て……何も考えず、誰も傷つけず、生きていきたいと思ってる」 太一「思ってるだけだ」 七香「でも、財産だよ。ちっとは、誇れ」 太一「……俺は……俺は」 七香「ずっとこの一週間を生き続けてもいいんだよ?」 言葉は優しく、胸に響いた。いや、まるで。胸の内から発せられる声のようだった。どこか懐かしい。 太一「……いや」 首を振る。 太一「……送り返す」 七香「返す……って……?」 太一「みんなを、元の世界に戻せるん……だよな」 七香「太一……それは……」 太一「できると思う。思い出した。なんていうのかな……あの場所……あの場所が、もっとも観測しやすい場所なんだと思う。光った亀裂みたいなイメージが、残ってる。俺にしか見えないんだろうけど。あの場所でなら、送還させることができるのかもしれないな。俺が観測することで」 七香「ちょっと待って待って!」 七香「……一人になるんだよっ!?」 悲痛な。反面、俺はひどく落ち着いていて。 太一「それで、いいんだ」 七香は絶句したようだ。 太一「放送局の名前、クロスチャンネルだってさ。俺が黒須だから。くだらないダジャレだけど。通信って、人と繋がりたいって技術だろ? 電話、無線、ラジオ、テレビ、メール、携帯、会話、手紙。相手と一体にはなれない。けど一時なら、交差して感じあうことはできる。それが人間だもんな。チャンネルが交差するということ。それって…… 心の交わりでもあるんだよな。すっげーいいセンスしてる。おかげでようやく、わかった。俺は、誰とも交差できないんだ———」 七香「……」 抱きしめられれば、日だまりに抱かれて微睡んでいるような安心感。 太一「七香……?」 七香「ごめんね……それだけしか残してあげられなくて……」 残す? 彼女は何を言ったのだろう? 太一「残すって?」 しかし彼女は、もういない。 太一「え……七香? 七香ーーーっ!」 気配もない。完全にいなくなってしまったらしい。苦笑。 太一「……一人でやれってことか」 ノートを祠に戻した。 太一「俺が入るスペースはないか……」 そう。過去のノートがあるということ。この祠が、時間のルールからは外れていることを示す。ゲートと祠が近い場所にあるのは、偶然ではないのだろう。 だったら。祠の裏に、座り込む。 と——— 太一「!?」 なんでいきなり夕暮れに? 太一「なん……だ、これ?」 見上げる空。緋色が濃度を増していく。凶悪な深紅色が、世界を血の色と同化させる。 太一「……う……」 めまいがした。ひどい、めまい、だ。目を閉じる。遊園地のコーヒーカップに乗った後のように、三半規管が揺れている。 太一「あぁ…………」 そして世界は、暮れた。 ……………………。 …………。 ……。 CROSS†CHANNEL 目覚めると、朝特有の冷たい空気が、肌を刺した。 太一「これは……」 山道をのぼっていく。展望できる位置に。 太一「人の気配がない……」 今日が何曜日か確認しないと。下山した。 ……………………。 太一「はっ、はっ……」田崎商店に飛び込む。 日付の確認ができたはずだ。 太一「……九月……七日」 張り出されたメモは、それが最新のものだった。いや、まだ証明にはならない。教室に飛びこむ。同時に、言葉を失った。窓際の席。立て肘をついて座っている少女が、ちらと一瞥をよこす。 冬子「……」 言葉はなく、視線を外に戻した。かける言葉がなかった。 太一「生きてる……」 目を覆う。俺の記憶では、昨日死んだはずの……少女。 太一「ああっ……」 膝をついて、全身を感情から来る痺れに任せた。冬子が奇妙なものを見る視線を向けてきた。 太一「また、な」 奇妙に引きつった笑みで手を振り、教室を出る。 太一「……月曜日だ」 戻っている。俺が俺のまま、戻っている。再び山にのぼり、例の場所をのぞくと、例の接続感覚は消失していた。 太一「ん……ない?」 そんな馬鹿な。焦って、周囲をさがす。 太一「……そうか」 理解が満ちる。 太一「特定の時間しか、接続できないんだ」 理屈はともかく、そう考えるしかない。どのみち、週末には判断できる。わからなかったら、またさらに一週間調べればいい。祠からノートを取り出した。 調べてやる。 この世界に起こりうる出来事を。 学んでやる。 完全無欠の幸福がないなら、それでもいいさ。みんなで仲良くなんて、俺の願望に過ぎない。個々人との接触の中でだって、最善のものを得る手だてはある。それが、俺の食い扶持だ。思い出を胸に生きていく。 一文で説明できてしまう。 俺は望んだ。 誰も傷つけないですむ楽園を。睦美さん。俺はそれを、手に入れようと思います。 そして。 そして。 そして——— CROSS†CHANNEL